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凄惨な結果を迎えた首里からの撤退戦

沖縄戦と本土決戦の真実⑦

沖縄県民への感謝を口にした海軍・大田実少将

沖縄戦でバズーカ砲を構える兵士。米軍は主に、攻撃隊の援護を目的としてバズーカを使用した。

 首里一帯から撤退を開始したときの日本軍は約5万と言われていたが、南部の島尻一帯にたどり着いたときには約3万に減っていた。

 

 その前線部隊が島尻一帯への移動をほぼ終えた6月4日、米第6海兵師団が鏡水海岸に上陸し、小禄の海軍部隊に攻撃をかけてきた。海軍部隊は第32軍の命令を誤読して、数日早く移動を開始し、軍司令官の命令で元の陣地に引き返したという経緯もあって、退却せずに同地で玉砕戦法に出た。10日間で約5000名の犠牲者を出しながらも最後まで戦ったあと、指揮官の大田実少将以下の首脳陣は自決し、組織的抵抗に終止符を打った。

 

 自決の直前、大田少将は海軍省の海軍次官宛てに電報を打った。それは、今度の戦いで沖縄県民がいかに作戦に協力してくれたかを細かに述べるとともに、「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と結んであった。

 

 6月12日、米軍は全前線で攻撃を再開した。その後の戦いは米軍にとっては一種の掃討戦だった。迎え撃つ摩文仁(まぶに)一帯に布陣する日本軍は、前記したように約3万と言われたが、正常な歩兵戦力はそのうちの1万1000名に過ぎず、他は火砲を失った砲兵や設営隊、沖縄現地召集の防衛隊などだった。

 

 それでも日本軍は各所で善戦し、米軍を何度も撃退した。例えば八重瀬岳(やえせだけ)を守備する独混第44旅団は、6月12日まで米軍2個師団を3日間にわたって足止めしたし、13日に総攻撃を受けて主力は壊滅したが、周囲の洞窟には多数の残存兵が潜み、抵抗戦を続けていた。

 

 西側の国吉戦線でも歩兵第32連隊を中心とした1500名前後の守備隊が、隣接する真栄里(まえざと)高地を守備する歩兵第22連隊と共に、米海兵師団を相手に6月17日まで同丘陵地域を死守している。

 

 しかし、その17日に真栄里高地の歩兵第22連隊司令部壕は米軍の「馬乗り攻撃」に遭い、生存兵は全員突撃で全滅、5日間にわたる激戦の末に丘陵は制圧されてしまった。この間の米軍の死傷者は1050名を数えている。

 

 こうして日本軍は各地で驚異的な粘りを見せたが、間もなくすべての前線が突破された。6月18日頃には米軍に摩文仁、真栄平の二つの戦場に大きく区分けされ、日本軍は最後の抵抗を試みた。

 

 その6月18日、動員を解除されたひめゆり部隊の看護女学生27名は、地下壕から脱出しようとした矢先、米軍の急襲を受けて全員即死した。現在、糸満市米須に建てられている「ひめゆりの塔」はその現場であり、この悲話は沖縄戦の悲劇を象徴するものとして、今に語り継がれている。

 

 ひめゆり部隊の悲劇が起こったその日、牛島(うしじま)軍司令官は河辺虎四郎(かわべとらしろう)参謀次長と安藤利吉(あんどうりきち)第10方面軍司令官に対して訣別電報を送り、翌6月19日、指揮下の全部隊に対して軍司令官としての指揮権放棄を宣言した。もう各部隊との連絡もほとんどつかなかったからである。すでに米軍は摩文仁洞窟司令部の東方1・5キロに戦車とともに迫っていた。

 

 6月20日、摩文仁洞窟周辺は激しい攻撃を受け、21日には軍司令部洞窟の頂上から馬乗りの直接攻撃を受ける事態となった。23日、牛島司令官は長(ちょう)参謀長とともに司令部壕の中で自決した。その後、終戦まで戦った部隊も一部にあったが、大半は順次米軍の降伏勧告に応じて、約7000名が投降した。

 

 沖縄戦を通じた戦没者は18万8136名で、県民の死者は約12万2000名と言われている。このうち軍人軍属の2万8000名を除くと、住民は9万4000名にのぼる。日本軍の死者は沖縄出身の軍人軍属を含めて9万4000名であり、沖縄住民とほぼ等しい。米軍の戦死者は1万2281名だった。

 

監修・文/平塚柾緒

(『歴史人』2022年6月号「沖縄戦とソ連侵攻の真実」より)

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